龍谷大学学友会体育局フェンシング部の歴史
年度 |
沿革 |
昭和37年(1962年) |
龍谷大学体育局フェンシング同好会設立。 |
昭和38年(1963年) |
体育局フェンシング部に昇格。 |
昭和42年(1967年) |
関西学生リーグ三部総合優勝。大阪電気通信大学との入れ替え戦に勝利。 二部昇格。 |
昭和43年(1968年) |
二部最下位。京都大学との入替戦に勝利。二部残留。 この年、9月21日のクラブBOX会館火災で、部室焼失。 |
昭和51年(1976年) |
部員数激減のため、部存続の危機。リーグ戦棄権。 三部リーグ転落。 |
昭和54年(1979年) |
三部リーグ総合優勝。京都大学との入替戦勝利。 二部リーグ復帰。 |
昭和55年(1980年) |
初めて二部リーグ総合優勝。 立命館大学との入替戦に臨むも敗退。 |
昭和60年(1985年) |
二部リーグ総合優勝。近畿大学との入替戦勝利。 創部以来、初めて一部リーグに昇格。 |
昭和61年(1986年) |
一部リーグ最下位。近畿大学との入替戦敗退。 二部リーグ降格。 |
平成 6年(1994年) |
選手強化のため、スクリュー・ドリック氏を夏期強化合宿に招請。 (ドリック氏は東京五輪ポーランド代表で、団体の銀メダリスト。) |
平成 7年(1995年) |
二部リーグ総合優勝。中京大学との入替戦勝利。一部リーグに復帰。 同年、ドリックコーチの肝入りで、現役学生2名をポーランドに選手強化目的で派遣。 ドリックコーチは以後、二度の来日の際、本学体育館で、強化指導をしていただいた。(欧州遠征) |
平成10年(1998年) |
この年から3年間、近畿大学と合同で、韓国の体育大学で夏期強化合宿を実施。(韓国遠征) 関西学生選手権(関カレ)サーブル団体優勝。 初めて関西の頂点に立つ。 |
平成13年(2001年) |
関西学生選手権(関カレ)フルーレ団体優勝。 |
平成15年(2003年) |
一部リーグ最下位。京都産業大学との入替戦敗退。 二部リーグ降格。 |
平成17年(2005年) |
女子部、春のリーグ戦に二部で初参加。 |
平成20年(2008年) |
女子部、二部リーグで総合優勝を果たし、念願の一部リーグ昇格。 |
平成24年(2012年) |
男子二部リーグ最下位。神戸大学との入替戦敗退。 三部リーグ降格。 |
平成26年(2014年) |
男子三部リーグ総合優勝。神戸大学との入替戦勝利。 二部リーグ復帰。 |
平成28年(2016年) |
男子二部リーグで総合優勝を果たし、13年ぶりの一部リーグ昇格。 専精館(新体育館)の運用が開始され、練習場が移転。 |
平成29年(2017年) |
関西学生選手権(関カレ)エペ団体初優勝。 |
令和 1年(2019年) |
女子部、5年ぶりにリーグ戦出場、二部総合優勝。 京都大学との入替戦に勝利。一部リーグ昇格。 |
現在に至る
参考:R.U.F.C OB COMMUNITY N..14 部創立20周年記念特集号
資料提供・記録:生澤郁夫(昭和41年入学)
加筆:木村 優(平成10年入学)
2021年度 龍谷大学フェンシング部OB会役員
会長 : 俣野幸男
副会長 : 坪田敬一郎
幹事長 : 木邊顕麿
会計 : 恩地 啓、木村 優
事務局長: 木村 優
幹事 : 清胤弘英、坪田敬一郎、間嶋正明、宮田温、棚瀬貴彦、青木慎吾、高岡昌弘
監査役 : 谷川次郎、坪田敬一郎
監督 : 木村 優
コーチ : 清胤慶英、北村賢史